ボタンを押すのは誰だ
昔からかなり脳味噌に興味がある。
その時の興味はまだ健在で、たまに頭の中で頭の中のことを考えることがある。
ある意味、究極の引きこもりなのかもしれない。笑
そんな中、最近「進化しすぎた脳」という本を先輩から借りて読んでいた。
著者の脳科学者が8人の高校生に行なった脳の講義をまとめたものである。
その中に無意識と意識についての一説があった。
高校生との対談で無意識と意識を分けていく。
心臓を動かしているのは止めることはできないから無意識。
呼吸は普段は無意識、止めることはできるのでたまに意識。
そうやって、無意識と意識の境界線をハッキリさせて行く。
その結果、過去の経験や記憶によって自由選択出来る。ということを意識と定義する。
「じゃーいつでもこのボタンを押していいですよ。」っと言われたら。
もちろん意識だと思う。
しかし実際には、「ボタンをよし、押すぞ」って思うまえに、すでに運動を司る場所が動いていてボタンを押す運動のシミュレーションが終わったあとに自分の意識があると思われている場所が活動して「よし押すぞ」って思っていることが脳波を調べる実験で分かったそうだ。
僕らの意識が自分のすべてをコントロールしているわけではなくて、実はディスプレーに過ぎない。
すでに決定してしまった結果が意識に出ているだけなのだ。
無意識にしろ意識にしろ自分自身に違いなく、自分が決めていることに間違いないのだけれども、実際には僕を決めているのが、単純な意識上の個ではなく、複数の神経のネットワークが作り出す複雑系の結果だというのが面白いところだ。
考え方次第で自分は一人ともいえるし、背後に控えるいろいろなminoresuの集合体ともいえる。
明日は何に向けてシャッタボタンを押そうかな。
それはゴーストが囁くままに。
なんて、台風の近づく夜、そんなことを考えたりしています。
進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線 (ブルーバックス)
- 作者: 池谷裕二
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/01/19
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