箱根の山から日本一を見る


友ちかとレンタカーを借りて遠出をする。
といってもどこに行くかレンタカーを借りてもまだ決まっていないサイコロな旅。
「中央道と東名どっちにするか。そうだ、じゃんけんをして俺が勝ったら中央道、minoresuが勝ったら東名にするか。」そんな調子で目的地が決まっていく。
笑談をしながら一号線の長い渋滞を抜けて富士屋ホテルに行く。
大きな庭園や文明開化の音がする建造物と、礼儀正しいホテルマン達。一度は泊まってみたいホテルだ。
そのホテルで超高級カレーを食べて、宿泊気分を味わう。


そして、大涌谷でこの景色が広がる。

三四郎という小説の中で東京に向かう電車中で広田先生がこういっている。
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「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。
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また別の場面では、
「君、不二山を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。
「翻訳とは……」
「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」
 三四郎は翻訳の意味を了した。
「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉に翻訳することのできないものには、自然が毫も人格上の感化を与えていない」
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なんとなく、なるほどなっと富士山を見て言葉無く思った。