引き継ぐもの

おやじさんから前々から狙っていたカメラを譲り受ける。
Nikon FMと単焦点レンズ一式。
AF、AEなんて便利な機能の無いフルマニュアル銀塩カメラだ。

半年前に押入れの奥から発見され、そのカメラの中には30年以上前のフィルムが入っていた。現像所に無理を云って現像してもらうと、そこには両親の若かりし頃が納められていた。彩度のほとんど無い写真だったが写っている両親には若さがあふれていた。

そんなタイムカプセルのようなカメラはピントを合わせて、絞りを設定してシャッタースピードを手動で調整する必要がある。その作法が写真を撮るための儀式のようで結構気に入っている。世の中便利になった分だけ、足りない、不便なものに引かれるのかもしれない。

時を同じくして、よしものばななの「海のふた」という小説を読み終えた。
小説には廃れゆく地元でカキ氷屋を始めた女の子とそこにひと夏訪れた女の子の話。
そこにも失われつつある情景と心、そこからはじまる事が書きつられてある。

どちらも時代の波からすればささやかな抵抗なのかも知れない。

僕は大型カメラ量販店にモノクロフィルムを買いに行く。まだまだフィルムは沢山あり、どれを買おうか迷うほどだ。いろいろなフィルムを手に取っては置き、手に取っては置きを繰り返していると、見慣れた8mmフィルムを見つける。

1本のモノクロフィルムを持って会計を済ませて、
「あそこに8mmフィルムがありますけど、現像って終了したんじゃないですか?」と聞く。
「現像の値段は上がりましたが、また再開されたらしいですよ」という。

世の中、ささやかながら抵抗を続けているものも結構いるようです。

海のふた (中公文庫)

海のふた (中公文庫)

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