静物園


「自然美というものは、人の手がかかることによってのみ存在する。」
と思っていた。
例えば「金沢の兼六園
人の手を十二分に掛けた庭園であり、計算尽くされた庭である。
松の枝ぶりや、木々の配置、コケの生え方、石の置き方、池、噴水の配置...
すべては天才的庭師による手間と暇を掛けられ、代々引き継がれる芸術品ともいえる。
ガーデニング、鉢植え、盆栽。
それらはすべて人の手が掛けられていた。
森や林にしてもそうだ、
「何かしらの人の手がかかることによってのみ存在しうる。」
雑木林も人の手が入るからうっそうとしない、秋の味覚も味わえる良き里山となるのだ。
一部分だけ綺麗な自然になることはあっても全体としてはなかなかに美と呼べるものは出ないものだ。
そうここに来るまでは思っていた。
そこは、二方を住宅地のコンクリートに囲まれ一方をテニス場の柵に囲まれ、
もう一方は道路に面しており、道路とは動物園のような柵で仕切られていて、柵の向こうには小さな用水路が流れている。そう四方を人の侵入を完全に拒んでいた。
その中に一番最初に目に付くのは遅咲きの桜の大木が咲き誇っている。
木々の大木達は枝を広げ、春の日差しを浴びるために若葉が光を求めて生い茂っている。
大木の手を逃れた光は、地面の春の草花に木漏れ日をもたらしていた。
その全体の配置には、絶妙な自然美がある。
これ以上草花が生えても壊れるし、大木の枝が伸びてしまっても壊れる。
時の止まった場所。
ここは人の手のはいっていない、春の今日の日限定の美、そう「静物園」だ。

にほんブログ村 写真ブログへ