見者のカップ


たまに俗世間から離れて仙人のような暮らしをしたいなぁと思うことがある。


中世や、ファンタジーの世界では賢者と呼ばれる人かもしれない。
高い塔の上に住んだり、山深い所に住んで、世間とは一線を欠く場所から俯瞰して世間を見る。
世間から離れているからこそ、世間の真髄を見ることができる。


昔の賢者は書物を読んだり、天地を見たり、占いをしたり、世間から離れていながら世間の胎動を知るすべを持っていた。
そのために高い塔や山に住んで、世の中を見渡し、自然の動きを察知する。
そして人里を離れた深い山に篭り、蓄えた知識を元に自分の頭の中で考えを巡らせることで、未来を見通したり、世の中の仕組みを読み解いたりする。
また、そうすることで自分の感性や感覚を研ぎ澄ましていた。


現代の賢者のツールはおそらくインターネットだろうと思う。
インターネットは雑音だらけだけど全ての情報を瞬時に見渡す能力を持っている。
そして、現代では自分の頭と、コンピュータを使うことでかなり厳密なシミュレーションを行い、未来を見通すことができる。(気合がかなり必要だけれども...)


昔の賢者が賢者と呼ばれる所以は鍛えられた感覚や、蓄えられる知識を、噂を聞いて訪れる旅人に、知識や知見を与えるからこそ賢者と呼ばれる。
現代の賢者はインターネットではそれをサイトを立ち上げて、尋ねに来る訪問客に知識や知見を与えるといったところだろうか?


今の自分はまだ賢者のレベルじゃなくて見者のレベルなのかなと思い。
この間作ったこの器に「見者のカップ(器)」と銘銘する。
知識もそうだが写真についても、見る能力はついてきたが、伝える能力が僕にはまだない。


ただの土を練り上げて、ロクロで形作り、火を入れて器を形作る。
出来た器にお湯と紅茶の葉っぱをいれてしばし待つ。
器から立ち上る湯気が人々の鼻をくすぐり、その紅茶を飲みにくる。
いつかは見識を与えられるレベルになれるといいなあと思いながら、紅茶をすする。
そんな夜の妄想は紅茶が冷えてゆくまで続いていった。