一人、電車に乗って美術館をぶらり


マンハッタンまで一人で電車に乗ってニューヨーク近代美術館(MoMA)とメトロポリタン美術館に行く。
F式とMAYUMIさんは、
「地下鉄に乗る時は車掌が来たら切符をみせるんだよ。」とか、
「ここの乗り換えは少し難しいから、○○っていう表示を探して...」などとアドバイスをしてくれる。
その心配そうに話す様子が、我が子を初めてのお使いにだすような雰囲気だ。
二人に見送られて駅まで往き、あらかじめ調べておいた切符を買い電車に乗り適当な場所に座る。
ほどなくして電車が動きだし、車掌が来て切符にバチバチとハサミを入れ去って行き、窓には紅葉した景色が流れて行く。
最初は窓の景色を眺めていたがだんだん飽きて来て、地球の歩き方を眺めだす、そして次第に列車が混んで来た頃に、
まだ車掌が何事か行ってくる。
僕は英語がわからず切符を見せるとまた何か言い出す。
やはり聞き取れない。
僕は溜まらず傍らにあったバックから英語の虎の巻を取り出そうとバックを自分の膝に置くと、その様子をみた車掌がひとこと、
「Good!」といい、去って行く。
どうやら「混んで来たからバッグをどけなさい」と言っていたようだ。
そのやりとりでちょっとした空しさが心に響く。
その後は特にトラブルもなくMoMAに到着する。
MoMAには、ゴッホゴーギャン、セッザンヌ、クリムド、ダリ、ピカソ、モネなどの近代絵画や、アンディ・ウォーホルを始めとする現代アートが所狭しと立ち並ぶ。
日本でこの品揃えだったら、どんだけの行列ができるのだろう。
しかも美術品との距離は触れるほど近いし、写真を撮影して、いくらでもじっくり見れるのだから驚きである。
それにしても現代アートには、糸くずをまとめたものや、アイスクリームの形をした大きなオブジェや、訳の分からない美術品も数多くある。
それらの日本ガイダンスを聞いても、さっぱり分からないものも多い。


午後はスミソニアン美術館へ行く。
ここは、本当に膨大な美術品がある。
その美術品たるや、ヨーロッパ、エジプト、イスラム、日本、中国、アメリカ...などの世界各国に渡り、時代は、紀元前から現代、分野も、彫刻、絵画、装飾、甲冑、楽器、写真、要するにありとあらゆる全ての美術品が並ぶ。
それを半日で回ろうとしているのだから土台無理な話だ。
とりあえず片っ端から見て行くが、古代から中世の美術品を見ているとだんだん飽きがくる。
確かに昔の美術品は奇麗で繊細で豪華な超一流品なのだが、奇麗で繊細なものばかりだと同じものを見ている気分になってくる。
僕はそんな気分で回廊を歩いていると、現代美術の中にある写真のコーナにたどり着く。
するとそこには本城直季の写真も展示されているのに気がつく。
写真が発明されて以来、美術は、本物のような絵を描くという分野はすっかり写真に譲った感がある。
そして美術品達は、作者のあたらしい視点という方向に向かい、現代美術の登場となる。
そして写実の筆頭である写真すらも、あたらしい視点に向かっているのだから
芸術全てが新しい発想に向かうというのも当然と言えば当然かもしれない。
お気に入りを見つけては写真に収める作業を繰り返していると、名残惜しくも帰宅の時間となる。
僕は、美術館を出て最後に見たかった場所に行く。
美術館の隣接しているセントラルパークに入り、お供えの花に囲まれたIMAGINEとかかれた追悼のプレートのあるストロベリーフィールズをみる。
少し、Imagineを口ずさみ写真におさめる。
そしてその近所にあるジョンレノンの住んでいたダコバハウスを感慨深く見る夕暮れ。
僕はニューヨークの街を後にする。

F式夫妻に教えてもらった通りに帰りの電車に乗っていると、ジャイ君から電話がかかってくる。
どうやら駅まで迎えに来てくれるとの事。
マンハッタン一人旅のはずだけど、みんなの助けばかりの一日だけの一人旅。
みんななんだかありがとう!T_T