Impressions of the second lecture.


先月から写真を語る会に参加している。今日はその2回目。感想を言う時間がなかったため、ここに今日のニューカラー的な写真と共に留めておく。
その会に触発されて2、3年殆ど更新していなかったこのブログを更新したりしている。
会の最後に自然と笑顔になっていたらしく、その場ではその笑顔についてのコメントは出来なかったが、確か昔の事を思い出していた。
だいぶ昔、とある先輩を相手に居酒屋で自分な好きな映画の話を熱く語っていると、
「映画の話を語っている時のminoresu君、いいよね。」と言われた。
話し手が、好きなものを語る時、その造詣の深さに感心するとともに、その熱というか、分かってもらおうとするしゃべりくちなのか、何の影響なのか詳しくは分からないが、とにかく聞いている方もいい気分になるのだ。
それを思い出していて、多分あのときの先輩はこんな気分なのかなっと頭をよぎっていたのだと思う。
さて、その会の中で、落語家が笑わせようとして噺をしているうちはダメだという一説があった。
写真で言えば作家の意図を色濃く良い写真を取ろうという気持ちが入り過ぎて逆にやらしく感じるのかもしれない。
私の好きな映画に例えれば、その流れを消したのが近代で言えば、
「ブレアウイッチプロジェクト」であり、「誰も知らない」などの是枝作品であり、「クローバーフィールド」などだろう。
写真で言う所の”ニューカラー”ということになるのだろう。
映画に、作意がないというのはあり得ないが、見せ方としてはニューカラーとなる。
「ブレアウィッチ」や「クローバフィールド」は、ホームビデオの手ぶれ感を出して作意を消しているし、「誰も知らない」は過剰な演出を極力消して、客観性を演出している。
本来、写真で言う所の”決定的瞬間”と”ニューカラー”もしくはアンチ決定的写真とは意味合いが異なるが、映画の場合、時間軸の使い方に意図的なのか客観視なのかが出る所と言えるだろう。
まだまだ、色々枝葉の思いが生まれていたが、またの機会に。