もしもピアノが弾けたなら


大学時代に買ったキーボードがあるが、実の所まったく引けない。
自主映画の音楽を作るために買って、多少の練習と音楽理論なるものを勉強したけど、結局引けなかった。
坂本龍一のセンメリなんかを練習したり、Midiソフトで音楽らしきものを作ってはみてみたけど、まったくだめだった。今では完全に場所を取るオブジェと成り下がっている。

もしもピアノが弾けたならと思うことがある。
なぜなら音楽は感情と直結しているから、というのが根本の考えである。
視覚、嗅覚、味覚、触覚によるものは個体差と個人の記憶から感情が想起されるもの。例えば視覚。親しい人が腕の中で銃に撃たれて死んでしまったとする、多くの人が悲しいと思うだろう。だけれども、死の意味を理解してない赤ちゃんがその腕の中に抱かれていたとしても笑ったりしているかもしれない。
だけど、なぜか聴覚(音楽)だけは、ほとんど記憶の無い生まれたての赤ちゃんであろうが、うれしくなったり、悲しくなったりする。
それだけ音楽は強力に感情に結びついている。
もしもピアノが弾けたなら、感情の趣くままに時それぞれの感情を鍵盤を叩いて出してみたいと思う。

そんなことを考えていたけど、それに見合う手段がありました。
「カラオケ」で熱唱ですね。(^_^)

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