金色の地を歩く
最近、秋晴れの中の通勤が楽しい。
朝日に照らされて稲穂についた朝露がキラキラと光っている様。
稲穂が倒れんばかりに頭を垂れている様。
そんな光景を見ると、ついつい信号待ちの時にカメラを構えてしまう。
生まれてこのかた畑仕事などした事が無いのだが、自分の奥底に流れている農耕民族の血が騒ぐのだろうか。
そして、稲穂の光景を見ていると2つの事が頭に浮かぶ。
一つはゴッホの絵の黄色。
ゴッホにも『収穫』という作品もあるのだが、その作品というよりは、なぜだかゴッホの黄色なのだ。理由はさしてない、多分直感なのだろう。
そしてもう一つはナウシカである。
「そのもの、金色の野に立ち...」という文句である。
もちろんこの金色は王蟲の触手の事なのだが、この写真はそんなイメージも無い事はない。
ゴッホの黄色とナウシカの風景。
そんな事を思いながらシャッタを押した。
家に帰ってから撮影した写真を見てみるとなぜだかフェルメールの女性を思い浮かぶ。ネットでフェルメールを見返してみると、これは光からだと分かる。
そして、宮崎駿のシュナの旅という、小麦を手に入れるお話も思い浮かぶ。
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散文的になってしまったが、
「使いみちのない風景」が私の脳に与えている効果の一例である。
本来であれば、見た風景とそこから誘発される過去の経験や作品から小話が思い浮かぶはずなのであるが、まだまだ無意識下の無想が必要のようです。^^;