Effort


たまに、東京から来た友達と益子に行ってロクロを回す、そんな事を繰り返していると家の食器は益子焼だらけとなり、それなりに陶芸にも興味を持つようになる。ロクロで水挽きをするだけだけど、その大変さや難しさや楽しさの一部は少し知っている。
そんな思いからか、益子にルーシー・リー展を見に行く。
地方の巡回展なので人は疎らで見易くてよい。
彼女の作品の感想は、厚さが薄い。そして色合いが優美。全体の印象は凛とした女性らしさ。だろうか。


少し陶芸に興味を持った頃、色々インターネットで調べると、土、釉薬、焼き方でかなり変わる事が分かる。
良い土を求めていろいろな場所に行ったり、釉薬を混ぜたりして色々試してみたり、焼き方を工夫し温度をいじってみたり、料理と同じように化学をベースとしながら、評価は人というなかなかの茨の道である。
そして、料理と違うのは出来上がるまでの時間(結果が出るまでの時間)がもの凄い長いのある。
途中でヒビが入ったり、絵付けで失敗したり、最後には釜から出したら素が入ったりという運の試練が待ち構えている。
その中で自分の作品を作っていくというのだからなかなか大変なものだ。
昔、うちの母親が陶芸教室に入っていた事があり、ハンズに色んな土を買いに行かされた事があった。
その時は「土なんて何でもいいじゃん」っと思っていたが、
土の違いがベースの違いなのだなっと今は思う。
そして、釉薬と焼き。
今年の始め情熱大陸青木良太氏の特集を見たとき、その鉄のような光沢の出る釉薬と焼き方の実験を見て、料理的であり科学的だなと思ったのを覚えている。
何はともあれ、土、釉薬、焼きの違いが、益子焼だったり備前焼だったり、九谷焼だったり、地方の特色を出している3要素なのだろうと思う。


さて、ルーシーはそんな陶芸の世界で、自分の個性や技法を編み出し、それを作品群として世の中に出していく。
彼女の技法の特徴としては、電気釜を使い厳密な温度管理を行う事、釉薬も厳密な管理を行う事、そんな風にして偶然の要素を少なくする思想なのだろう。
そしてそのベースの上で掻き落としや優美な色や形で個性を作り出していったのだろう。
こんな作業を死ぬまで続ける事を考えると、頭の中は正直陶芸一色じゃないと出来ないなっと思う。


さて、話は少し違う目線へ。
陶芸が絵と違うのは、もともとは実用品である皿や花瓶や器である事。
今は100円ショップでも売っている陶器。
ルーシーの陶器はネットで調べると数十万から数百万円。
100円でもなく、数百万でもなく、大量生産ならば、適正な価格でいい物を普通の人が愛でる事も出来る。
ルーシーの元へウェッジウッドからティーセットのデザイン依頼が来て、喜んでその作業に取り組んだそうな。
しかし、何が原因かは分からないが量産化には至らないで終わる。
そのとき、ルーシーはどう思ったんだろう?と思う。
量産の良さは、全ての人が適価で良いものを手に入れられる事にある。
例え自分の手を使った物ではないにしろ思想が入っていて、使う人のティータイムが想像出来るかもしれない物だ。
飾られるだけでなく、使われてこそという思いもあったのかなっと思う。



何にしろ、オーダーメイドと大量生産、全てを陶芸に捧げたその努力とは思わない努力がすごいなっと感じた三連休最後の日です。