永遠を探す旅


最近ずーっと頭の片隅に数学の事が頭を離れないでいた。
リーマン予想に絡む素数や無限の数学の話。
素数に憑かれた人たち」という本を読んで素数定理やζ関数に対するおおよその理解がだいぶ深まったが、
やはりかなりの大道具(行列や楕円曲線複素関数、複素力学)の理解が無いと数学的理解が一向に深まらない。
そして、直感的には、リーマン予想素数の不思議に関しては、
複素力学が醸し出す、マンデルブロ集合やジュリア集合の自己相似形いわゆるフラクタルが直感的にはキーのように思える。
(そういえば、ナチュンというマンガでマンデルブロー集合みたいなものの裏パターンを埋める事で宇宙の真理があるようなSF理論が触れられていた。)
しかして、リーマン予想の問題の意味は分かったが、結局は数学的なアプローチに対する理解がほど遠い状態。
だけど、調べれば調べるほど、確かに万物は数であるようです。
最近、そんな無限に続く数、終わりの無い小さな数、そんなものを抽象的に考える事が多くなっていた。


そんな事を、ぼーっと考えている事が多くなった頃、ふと父方のおばあちゃんが亡くなり。
通夜と葬式。
齢90歳であり大往生。
その葬式で祖母(長女)の妹さん(六女)とお話する機会があった。
時は明治、大正、昭和初期の時代。
おばあさんのお母さん、つまりは曾お祖母さんは松平家系の武家の方で、
その方が大野家の曾おじいさんと駆け落ち同然で家を出たそうだ。
そんなわけで、家は貧乏だったらしく、そして時代的にも六人の子を養う事が出来ず、養女として出されていたそうだ。
そして、大おばは、養女に出されていた事をだいぶ大人になった頃聞いたそうだ。
そのため、祖母の存在も知らず還暦過ぎまで過ごしたという。


しかし、ひょんなことから祖母の存在を知り、近年姉妹の再会を果たしたのだという。
「テレビとかであるでしょ。感動の対面みたいなの、私ももし会えたらそんな風なるのかな。」っと思っていたらしい。
しかし実際はもっと笑い話的なものだった。


おじさんが他の姉妹が亡くなった時に、遺産承諾(殆ど金銭的なものはない)のために探しまわって、事前連絡もなく訪れ、いきなり遺産説明と判子を押して下さい。と言われて突っ返したらしい。
その後、おばあさんが丁寧な手紙をしたためて、誤解を解いて行った。...そうだ。
(笑いながら、おっしゃっていたし、もちろん殆どない遺産でやましい気持ちも無かったようで、周りも思い出話として楽しそうに話していた。)


そして、戦中の話。
大おばが子供の時、住んでいた川崎の方で空襲があり、町中焼夷弾が振ってきたらしい。
それで逃げ場所を探していると、空からさらに、戦闘機が降りて来て、機銃で狙われたらしい。
そして命からがら石で作られた公衆トイレに逃げ込んで命が助かった。そうだ。
(そのとき、焼夷弾によって全身火だるまになった馬が目の前で倒れた風景を今でも昨日の事のように覚えているっとおっしゃっていた。)
そんな、リアル『ホタルの墓』のような事をおっしゃる。


そんな話を聞いていると、僕は、父、母、祖母、祖父、曽祖母曽祖母、曽曽...と続く一連の流れの上で簡単にはなし得ない、
その時代の先祖の努力と意思と偶然によって成り立っている事を改めて実感する。


そう、人生も、僕が生まれて死ぬまでも、その以前も、以後も、僕にとっては果てしなく続く旅。
数が理論でイディア的であるのならば、人生はそんなイディアの実像にぶち込まれた一匹のアリ。
そんな有限のものが無限のイディアの繋がりを理論と体験を持って確知する。
そんな最近です。


P.Sおばあちゃんや祖先に多謝です。

素数に憑かれた人たち ~リーマン予想への挑戦~

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リーマン予想のこれまでとこれから

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